宇和島市遊子の水ケ浦は、「美しい日本のむら景観百選」に選ばれています。
耕して天に至ると言われた段々畑の風景が唯一残る場所です


  かつて南予の海岸のどこにでも見られた段々畑。甘藷と麦の栽培に頂上まで耕されたものでした。その面影は水ケ浦に残ります。 ここは、年中霜の降りない気候を利用して早ぼり馬鈴薯の栽培がされています。そのため、現在もなお耕作されています。しかし、所有者の高齢化により、年々耕地の減少が見られます。祖先の貴重な労働の遺産として保存しようと平成12年、「段畑を守ろう会」が結成されました。
 宇和島地方の段々畑は、元禄の頃、イワシ漁業に従事する漁民たちによって開かれ始めたと言われています。盛んになってのは、18世紀半ばの甘藷の伝来後です。イワシの豊漁期に盛んに開かれたようです。
 石垣化が始まったのは明治以降で、盛んに作られたのは昭和20年代です。戦中、戦後の食糧難の時代は、甘藷の切り干しが高値を呼びました。しかし、平地の何倍もの重労働を強いられたものです。
 石垣の畑を持つことは当時の人たちの夢だったそうです。石垣にすると土地の面積は、1.2倍、収穫は1.5倍になると言われていました。また、表土や肥料の流失もなくなりました。しかし、段々畑が頂上まで石垣化された時には、切り干しは商品価値を失い、新しく始まった養殖業に生業が移っていきました。
 昭和50年代、NHKの番組「新日本紀行」で紹介されたこともあります。
 石垣は、海の石を拾って築いたのはほとんどなく、黒色火薬を利用して岩を砕きました。海の石はもろくて使えないそうです。ここの土地は少し掘るとすぐ岩盤が露出します。また、近くの小島からも取りました。山向こうの柿の浦に石垣を築く職人さんたちがいました。戦後しばらくは、漁業が好調でしたので請負いに出して作ってもらったことが多かったそうです。名人が作ると、なかなか崩れなくてしかも早く作ったそうです。

昔の姿

津野浦から水ヶ浦の裏側を見たところです。※ 遊子の甘崎で、一番向こうの岬が水ヶ浦です。
統計資料「愛媛の甘しょ」の表紙に使われた水ケ浦の遠景 一番向こうの岬が水ヶ浦です。
写真は原田政章氏の撮影です。 

現在の姿

早堀り馬鈴薯の収穫 だんだん祭り
全国一の鯛養殖(全国の四割) 浜上げされた真珠
ハマチは全国第2位