作成するにあたって、当時、宇和島県事務所農林水産課長であった久保田豊さんから資料をお借りしました。氏は、ネズミ課長と呼ばれるほど尽力されました。


 もともと、宇和海地方にはネズミが多数生息し、江戸時代からネズミ除けの念仏などが行われていました。下波湾の沖に浮かぶ黒島では、ネズミのため開墾をあきらめたと伝えられています。古今著聞集には、現在の西宇和郡の黒島の漁師が魚と思い網を入れたところ海を渡るネズミを引いたと書かれています。13世紀のことです。
 その伝説の通り、昭和34年6月のある夜、海を渡る畳10帖ほどのネズミの群れに漁船があやうく網を入れるところでした。
 また、戸島の言い伝えでは、その昔、ネズミに悩んだ浦人が、総会で小島を一つネズミに明け渡すことを決議したとか。ネズミ退散を願って、鉦、太鼓を叩いて踊ったとか。

 昭和24年夏、その戸島に大発生し、日振島がそれにつぎ、昭和26年11月には、戸島の対岸の蒋渕に飛び火、ネズミは半島を東進、昭和27年には宇和島周辺にまで進んできました。
 昭和26年11月の日振島・戸島の推定生息数は80万匹。
 左の写真は、昭和30年11月、遊子甘崎の農協に集められたネズミの死体です。72戸のこの集落で一晩、1523匹がとれたのを久保田豊さんが撮影しました。

 発生の原因は、戦後、食糧難により段々畑の芋作りと煮干しイリコの製造が急速に盛んになったことで、ネズミの食料が豊富となったためです。気候温暖の上、ヨシの防風垣にいもつぼと生活環境もネズミの別天地でした。懸命の駆除により、昭和28年は平穏であったが、昭和29年、再び大発生しました。

 駆除には、薬剤、パチンコ、天敵など総動員したが、制圧することができませんでした。1匹5円から10円で買い上げたこともありました。子供たちは一生懸命取りましたた。
 動員した天敵は、へび191匹、いたち156匹、猫4392匹。三間小学校では、猫の出陣式も行われました。駆除したネズミ数は、11年間で86万1871匹。

 ネズミがいなくなるときは、段々畑の耕作をやめて元の山林に還るときであろうという予言どおり、昭和36年に終息しました。

 この騒動を題材として、椋鳩十氏が「ネズミ島物語」を吉村昭氏が「海の鼠」を書かれています。